1996-07-23 第136回国会 衆議院 厚生委員会 第32号
何しろ、先ほどお話がありましたけれども、スピラ博士のときも、私が非常に印象が深かった一つは、それでは、これはスピラ博士があったからここでこの前出た疑問が全部解消された、これでどうですか、認めますかというお話であれば、先ほどもどなたか言われましたけれども、私はちっとも、これは反対をするということは一つもないわけでございまして、そういう御発言が私はあったとは思っておりません。
何しろ、先ほどお話がありましたけれども、スピラ博士のときも、私が非常に印象が深かった一つは、それでは、これはスピラ博士があったからここでこの前出た疑問が全部解消された、これでどうですか、認めますかというお話であれば、先ほどもどなたか言われましたけれども、私はちっとも、これは反対をするということは一つもないわけでございまして、そういう御発言が私はあったとは思っておりません。
証人が一〇〇%エイズを否定したものではないと考えていた、アメリカのCDC代表のスピラ博士がアメリカではエイズ患者と判断すると診断をした帝京大症例について、何らかの対策をとって見直しをすべきだったというふうに思いますけれども、その点どうでしょうか。
スピラ博士がアメリカではエイズ患者と判断する、そう認定した帝京大症例について、エイズ調査検討委員会としてエイズ患者かどうかその検証をすべきだったのだと思いますけれども、その点どうでしょうか。
だんだんアメリカでも刻一刻と患者さんがふえつつある状況、そういった情報も入ってきているだろう、そして、スピラ博士の件、栗村先生の件、ギャロ博士の件、大変事態は緊迫をしているのですね。そういったときに、一々の調査内容の議事メモとかそういったものを見ていないということですが、これは大変な責任の失格だと私は思いますよ。
○荒賀政府委員 この調査プロジェクトチームに対します郡司元課長の回答でございますが、このCDCの診断基準におきまして、原因不明の細胞性免疫不全となっているにもかかわらず、スピラ博士が帝京大症例をエイズとする理由につきましては、米国ではエイズの原因が不明なので、できるだけエイズの症状を示す症例を広めに集めて研究したいという目的で判断しておる、これに対して、我が国では第一号の症例かどうかということで判断
もっと言えば、帝京大症例についても、八三年の八月二十九日にスピラ博士が、CDCの基準で、これはアメリカではエイズと言うのだと。そういう患者が出ているわけですね。そういうことも無視をして、その上、まじめに取り組まないでやたら時間を費やすというようなことだったのではありませんか。 安部氏は、八四年八月に、帝京大症例を含む血友病患者四十八名の検体をギャロ博士に送りました。
さらに、スピラ博士が米国ではこのような症例をエイズと診断されると断定したにもかかわらず、帝京大症例はエイズとは認定をされませんでした。つまり、八月の二十九日以降もされなかった。塩川氏が後日この問題について、スピラ博士との会談の結果について報告を聞いたら、アメリカの専門家の意見であるから全面的に賛成していた、そういう意見を表明するほどの重要な結論、これが無視されたわけです。
第二に、エイズ研究班においては、いわゆる帝京大症例について、ステロイド剤投与による細胞性免疫の低下を否定できないこと等から疑似症例としたものと考えられること、米国CDCのスピラ博士の診断が報告された後もこの診断の見直しに至ることなく、引き続き検討することとされたと推測されること、及びこの症例は六十年四月にエイズ調査検討委員会に調査票が提出され、同年五月にエイズと認定されたこと。
なお、スピラ博士の報告というのがここであったということでございますが、それは私たちが疑問に思っていることをスピラ博士が十分班長に御説明になったということで、それを聞いてあれば、当然アメリカの専門家の言うことですからこれは間違いなくエイズだというお返事ができたと思うのでございますが、どうも十分な御説明は聞いていなかったわけでございます。 以上でございます。
○大島慶久君 参考人は調査プロジェクトチームに対する回答において、もしスピラ博士の診断を当時間かされていれば、アメリカの専門家の意見であるから全面的に賛成したと思うとお答えになっておられます。けれども、公表された委員長ファイルによれば、第四回班会議において報告をされているわけであります。
○参考人(塩川優一君) 私は、正直なところ、この第四回においてスピラ博士との会談の安部班長の御報告を十分記憶していないのでございます。
○水島裕君 少なくともその後、スピラ博士の認定とか、それからギャロに頼んで抗体が陽性であったと、その時点と先生のスモンの時点を比べると、やはりもう抗体が陽性という方がはるかに危険度を認識しなくてはいけなかったんじゃないかというふうに思いますが、いかがでございましょうか。
による感染症の可能性が強く、その伝播様式は血液を介して感染する可能性が強いことを認識していたこと、並びに原因ウイルス固定後の五十九年十一月末には厚生省は我が国の血友病患者の抗体検査陽性の状況を知っていたものと認められること、 第二に、エイズ研究班においては、いわゆる帝京大症例について、ステロイド剤投与による細胞性免疫の低下を否定できないこと等から疑似症例としたものと考えられること、米国CDCのスピラ博士
スピラ博士が、血友病患者のエイズ発症、死亡を診断したとき、ギャロ抗体検査が判明したとき、非加熱製剤の危険性は十分に推察できたはずです。厚生省は、エイズが予後不良で重篤なビールスによる感染症であり、さらに非加熱製剤に混入している可能性があると認識したのは一体何年何月なのか、公式に示していただきたい。
それなら、当時の基準であったCDCからいらしたスピラ博士がエイズだとはっきりおっしゃったわけでありますから、それをその後エイズでないとされた根拠はどこにあるのでありましょうか。
○水島裕君 後でももう一度申し上げますけれども、きょうは客観的、第三者的なことでぜひ発言していただきたいと申し上げましたので、仮に先生がそのとき出席していらっしゃいまして、スピラ博士の認定があったら、やはりそこでもう一度考え直そうという気に当然おなりになったかどうか、いかがでございましょうか。
○参考人(郡司篤晃君) 正しいということのむしろ中身の問題ではないかと思いますが、スピラ博士がそういうふうに言われたことは間違いない事実でありまして、そしてその症例がアメリカに行けばこれはエイズのグループに分類されるということも事実だと思います。
私はなぜこういうことを聞くかと申しますと、もしスピラ博士の報告が先にありながら、結局、順天堂大報告によりエイズでないという結果、承認されなかったとなりますと、スピラ博士の診断は全く無視されたわけですね。当時、日本の研究班会議もアメリカのCDC基準に頼っていた。
そして、ここで先生が先ほど言われたことが載っているのですが、答えているのですが、「この会議でスピラ博士との会談の報告を聞いた記憶がなく、結論も記憶はない。この会談に就いて後日聞いたところである。もし」ここが大事なんですが、「もし私がこの委員会でスピラ博士との会談の結果に就いて報告を聞いたら、アメリカの専門家の意見であるから全面的に賛成したと思うが、そのような記憶はない。」
それで、検討は一回終わったわけですけれども、その後八月に、先ほどお話がありましたように、スピラ博士という方が参りました。そこで検討されたわけですけれども、このスピラ博士が来たとき、私が出席してこのスピラ博士の発言に対して非常に反対をしたという証言がされております。 しかし、私はどうしても出たという覚えがないのでよく調べてみました。
さらに、この安部さんのいわゆる帝京大症例、結局これはスピラ博士は認定しましたが、研究班で否定されましたけれども、その後、ギャロという博士がおるんです、この方はいわゆる血液製剤の権威であります。このギャロさんが八四年の九月六日付で、安部さんが四十八検体を依頼したんですが、そのうち二十三検体が陽性である、要するにエイズに感染しているという結果を報告しているわけです。
これは米国のCDC、アメリカの国立防疫センターのスピラ博士が帝京大症例を見て、これは間違いなくエイズだというふうに言ったんです。しかし、このスピラ認定は研究班では結果的に否定されたんです。 ここで厚生省にお伺いしますが、安部先生はこういうふうに参議院の答弁で言っているんです。
「スピラ博士が私に帝京大学症例について質問したので、私は大体別紙図1及び表1の内容について説明をした。」と。説明したことない、スピラ先生に。
○枝野委員 先生は、スピラ博士に対して、帝京大症例のデータを送って、それについて判定をしてもらっているそうですが、これは、いつスピラ博士に症例を送ったのですか。
一九八三年の八月、アメリカのCDCのエイズ診断の専門家であるトーマス・スピラ博士が来日いたしました。そのとき、安部先生の帝京大学の症例について診断を頼んでいますね。そのとき、スピラ博士は当症例についてエイズであると認定しました。それにもかかわらず、このスピラ認定は認められませんでした。どうして認められなかったのか。また、このとき認定を認めるとだれか困った人がいたのですか。それはだれですか。
○参考人(松田重三君) 一言、先ほどのスピラ博士の件についてつけ加えさせていただきますと、厚生省はもっと早くスピラ博士なりアメリカの専門家を招いて帝京大症例を検討してもらうべきであった、少なくとも第二回目の班会議においてスピラ博士を呼んで帝京大症例を検討しておればこんな悲劇は起こらなかったではないか、そういうふうに残念に思うわけであります。
一九八三年八月の時点において、帝京大学における症例がCDCのスピラ博士によってエイズと診断されながら、その認定をしませんでした。
○岩佐委員 疑似症例であるということだから、恐らく八月の二十九日にスピラ博士に見立ててもらったのだというふうに思うのですね。 今お話がありました日本人エイズの患者第一号の公式発表の前日に、安部エイズ研究班長は、二名のエイズ患者と二十一名がHIV感染者であるというようなことを発表するわけです。
○荒賀政府委員 当時の生物製剤課長からの事情聴取によりますと、このスピラ博士との会合の際に御指摘のような発言があったものでございます。 しかしながら、本症例につきましては、多量のステロイド剤を使用していたために、CDCが一九八二年九月に発表したエイズに関する診断基準には合致しないということで、研究班におきましてはその当時の知見に照らして疑似症例と判断をされたものと承知をしております。
そして、この問題について、その年の八月二十九日、東京で、アメリカのエイズ専門家のスピラ博士に鑑定をしてもらっています。その会合には、研究班から安部、松田の両氏、厚生省から郡司、森尾、加藤氏が参加をしています。そこでスピラ博士は、アメリカでの診断基準によればエイズであると明確に断定をしています。
○枝野委員 スピラ博士と郡司課長らが会ったという会合に関して、一九九四年二月四日付の毎日新聞によりますと、CDCの研究員で、これはスピラさんとは別の方ですが、ローレンス博士という方が毎日新聞の取材に対してこうお話しになっています。八三年八月、京都での国際免疫学会に出席をして、この会場で安部英に要請をされ、八月二十九日、同僚とともに厚生省内で開かれた会議に出席をした。
○枝野委員 その場で郡司さんなりあるいはエイズ研究班の方から、そのスピラ博士の見解は公表しないでくれというような話はされましたか。
○枝野委員 スピラ博士と郡司さんなどがお会いになったというのは、このどちらかの会議、エイズ研究班の正式会合の場ではないのですか。
しかし、否定されましたけれども、その人は、その翌月の一九八三年八月に来日いたしましたアメリカの国立防疫センターの研究員でありますトマス・スピラ博士は、安部教授が示されました症例を見て、これは明らかにエイズであると認定をいたしているわけでございます。しかし、これらのことは、それから二年後の一九八五年五月まで発表されなかったわけでございます。
そして、これをずっと見ますと、やはり、一つは、この当時、そのトラベノール社から、原料血液の提供者がエイズを発症したので製剤を回収したい、こう言ってきたことを厚生省は世に明らかにしなかったといったこと、それから、来日いたしましたスピラ博士が間違いなくこれはエイズだと認定をいたしましたけれども、その血友病患者の方のエイズ認定の発表は約二年後、一九八五年の五月になったということ、あれこれこう考えますと、どうも